朝からきちんと動いてみたら全然だめで、頭痛いし、胸も苦しくて、このまま動いてハードに運動とかしてたら絶対死ぬなと思って。
最近色々変化があって、悲しみ置き去りだから、ちゃんと触れてみようと思って1日いた。
そしたら、夕方に極点が来て。
この悲しいのに触れているのが本当なのかなと思えた。
母に触れると悲しいのは母がどうではなくて、ただ、本当なだけなのかもと思った。
覆い尽くしていた、形が崩壊するときに見える本質。
昔は、いつも一人で、悲しい、寂しいにいつも触れていた。
実は本当なのかもしれない。
こちらの方が。
でも理屈からしても
世界なんて、毎瞬変わってるから
頭で楽しいなんてないはずで
いつも、手からすり抜けていくから
悲しいに決まってると言えば決まってる。
今そのもの見たら、
絶対悲しいし、不安だし、美しいし、せつない。
この悲しみに触れてる時の方が、
いろんな発想湧いてくるし、
違う次元の、フェアリーフレグランスに出会った時の発想に近い気がする。
最近はいいことばかりあったから、
いいはずなのに、
全然触れれないので。
おかしいなと思ってた。
そういうことだったんだ。
いいことは物理的で、胸が固まってしまう。
じゃ、この悲しみが、自分が作っている物なのか、普遍な物なのか。
なんなのか、もう少し見ていきたい。
願わくば
覆い隠されることがないように。
形作ってしまって
悲しみに触れなくなった時
当たり前だけど、悲しみの種は生まれてる気がする。
なんか、どこかで見た、大悲って言葉がすごくしっくりくる。
わからないけどー。
あと、吉福さんの言ってた悲しみの共同体という言葉も思い出す。
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